神を中心に据えるか、自分を中心に据えるか。

多くの罪が先祖から代々のろいとして遺伝子にインプットされている人間は、無意識のうちにも、自分中心に戻ってしまう傾向がある。

聖書でよく言われる言葉がある。神のみを恐れよ。

これは、この世で標準的に考えられている、怖がりなさい、という意味ではなく、神をどんな時も褒めたたえ、神の命令を守り、悪から遠ざかりなさい、という意味である。

毎日の忙しい中、どれだけ神を思い出しているだろうか。

私がよく励まされるのは、広大な自然を目の前にしたり、澄み渡った夜に星空を眺め、無限にある星の数に圧倒されるときである。

神様は目に見えない。これはいろいろ考えがあるが、ひとつは、この広大な宇宙を造った神であるから、それよりも大きく見えるわけがないといったシンプルな答えである。しかし、神を人間のさじかげんでそもそも計ること自体が律法では罪であったので、私たちの限りある思考回路で当てはめてはいけないのである。むしろ、私達の思考を超えた無限の存在であるという認識でいつもいると良いのかもしれない。

神は、壮大で、尊厳と威光を身にまとわれ、全てを掌握し、全てを支配されている。これを人が心に受け入れ知るとき、どれだけ人は神に近づき、強められていくだろうか。それも、その人のためではなく、結局神の栄光が輝くためのものではある。アブラハムやヨセフはわかりやすい見本として、聖書の初めのほうで書かれている。

今日一日どれだけ、神を褒めたたえることができるだろうか。今日も忙しさに埋もれてしまい、寝る前のお祈りだけになってしまわないだろうか。。。