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2つあって恐縮です。


一昨日も6種程のタスクを少ない残業時間でこなすために、頭と体をフルに使用し、帰るころには、頭が重かった。まるで、頭に何か病気を抱えているような感じ。そして、そのせいか、白髪も増えてきている気がする。

妻に話すと、同情の声とともに、オイルマッサージをしてくれることになった。私の体調がずっと悪かったとき、妻が独学で学び、仕事から帰るとよくしてくれた。最近は体調も回復し、こちらからもお願いもしてなかった。

α波の音楽をかけ、お風呂のあとに、してくれた。同じ部屋で、長男がマインクラフトをやっていて、その音楽もα波系の音楽で、2つのα波の音楽を聴いていてよく分からんかったが、あとtで理論的に考えると、2つのα波が違う角度から私の耳にやってきて、効果はきっと倍増され、良かったはずだ。

そして、私の首回りがよっぽど固まっていたのか、妻の腕が上がったのか、音楽がよかったのか、すべてが一致したせいなのか、いわゆる体的には、最高の状態になり、癒された。私がこれを定義するとき、意味として、半分寝て半分起きている状態になったとき。これは、うまい整体に当たったときや、うまい全身の鍼灸をやる時に、味わうことができる。

最近デンマークのキリストの使途トーベンさんの働きに励ましを受け、癒しの祈りを実践している。以前そんなことを書いてから、他人にやるにはまだ気が引けるので、子供達や妻相手に家族の中でやっている。そして、今の所、100%癒しが働いている。ノンクリスチャンにとっては、不思議だし、クリスチャンでも霊的な働きをあまり教信じていない人には難しいだろう。

長男と次男は筋肉痛などになって帰ってくるので、イエスキリストの名前によって癒しの祈りをすると、治ってしまう。妻はただ驚いている。風邪には一回の祈りじゃすぐに治らないみたいなので、これは、続けて祈る必要があるのかなと思っている。もしくは、私の信仰がまだ弱いのだろう。

昨夜は娘が足をぶつけて、泣いていたので、娘に初めてやってあげると、やはり痛みが消えた。

そういうことを書いていると、昨日の頭の痛みも、癒しの祈りを妻にお願いすればよかったきがするが、しかし、オイルマッサージの時間はとても気持ちよく、頭だけでなく、全身や心も気持ちよくなるし、イエス様も弟子たちの足を洗っていたし、イエス様の足をオイルマッサージをされた方もいるし、これはある意味愛のひとつの実践であるので、よしとした。

ヨハネの福音書(新改訳)
13章:3~5
イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が神から出て神に行くことを知られ、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。

ここの聖書の箇所は、イエス様がなぜこのようなことをされたのかは、実は、いくつも意味が重なっており、深い。その時の人の状態で読み取りが変わり、霊的な文である。そのひとつには、イエス様は人への愛の示し方を弟子に教えた。当時、足を洗うというのは、最高の謙遜を相手に表し、愛を示す態度であった。上の人が下の人にやることはなかった。それをイエス様が自分の弟子に諭し、それは人間界のものであると示した。

ヨハネの福音書
12章:2~3
人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。
マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油300グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。

当時、香油はとてつもなく高い物であった。ラザロはマリヤの夫。ラザロは過去に生き返らせてもらった人。イエス様はもうすぐで十字架にかかって死ぬことを、マリヤの霊は気づいていた。そして最大限の愛をイエス様に尽くした。神的にいうと、全ては、旧約にある聖書の預言、神のルールに従う必要があり、これは、イエス様が死ぬ前の埋葬の準備であったとおも読み取れる。

妻は、わたしのために、自分の時間と疲れを犠牲にし、愛を示してくださったことに、感謝です。