慰めるって素晴らしい行為である。相手を思いやり気遣い自分を犠牲にする愛が含まれていて、神様の愛が
実践される。

慰められる側は、もはや自分ひとりの重荷ではなくなり、慰める側がその重荷を受け取り理解してくれるから
心の負担が軽くなる。

聖書で神様は愛であり、慰めの神であると言われている。実際イエス様がこの世界に来られた時も、いつも
自らへりくだり、罪や悪いことに落ち込んでいる人たちのところに近づき、慰められた。

慰めの真の定義はなんだろうか。

ヨブを呼んでいてひとつわからないことがあった。なぜ病にうたれ、全てを失ったヨブを慰めにき
た3人は、神様から喜ばれないで嫌われたのか。

彼らに共通するのは、ヨブにアドバイスを与えているところ。最近やっとそれを理解できた。

アドバイスを与えたり、意見を述べたりすることは、慰めではない。なぜならそれらの裏には、根底として、
与える側によるさばきがあり、また与える側が中心となってしまっている部分がある。

本来慰められる側が中心になるべきなのに、慰める側が中心となってしまっている。そして、さらに
ヨブの友達は、ヨブが悪いことをしてそのような状態になっているわけではないのに、あたかもヨブが神様
に対して悪いことをしたと決めつけ、自分たちをヨブより高い位置に置いている部分がみられる。

神様がヨブの友達に求めていたのは、本来の慰めであり、あぁ大変だったね、苦しいね、と聞いてあげ
そばにただいてあげ、必要な時には助けてあげることであっただろう。


親として、子供たちに注意したり励ましたりすることはよくあるが、慰めることが少ないことに気づいた。

親の役割は、年を老ることに勉強になっていくな。。。