先週から子供達に強く教えていることがある。それは、口から出してよい言葉と悪い言葉。

聖書には、口から出した言葉に対し、人は責任を負い、人々に良い影響を与えたり助けたりする言葉を使うと神様から良い報いを受けるし、人々を傷つけたり悪い影響を与える言葉を使うと、自分にその悪いことが報いとして返ってくることが書かれている。

これは、私自身も身をもって経験をたくさんしてきていても、心にある悪い自分が悪い言葉を使ってしまう戦いは終わらない。日々のクリスチャンとしての戦いであるが、周りの影響を受けたり、疲れたりしている時は、負けてしまうことが多い。祈りが足らないことも影響する。

子供3人はお互いに考え方や性格が全く違う。だから、ぶつかり合うことが必然的に発生してしまう。

意見の食い違いが起きた時に相手をたたきつぶすのではなく、相手の意見を敬い、お互いの意見をいかに現合し、お互いにとってよいものとなるように調整する技を成長させることができるよう願い、助け、アドバイスをし、時には、厳しく怒る。

大人になってもこの3人が少なくとも仲良くお互いを助け合い、愛し合う関係が続いていることが親としての願いだ。

昨日の仕事の会議で、議事の報告書のひとつの言葉のあやとりが他の3人で始まり、しまいには、その言葉から1人に非難が始まってしまい、しばらくだまっていたが、終わりそうにないので、その悪い言葉の応酬の状況に腹が立ち始め、子供相手であれば、注意するのだが、そういうわけにはいかず、単に3人をさえぎり、言葉のあやとりはどうでもいいから、その言葉の意味はこういう意味だよと説明し、断ち切った。

あとで、自分の強制的な断ち切り方に心が痛み、自分の会議の中での言葉の技術の未熟さを反省した。もっと、和やかに、その雰囲気を調整できるような技術を身につけなければと思ったし、怒りが先に来てしまう自分の心の未熟さを悔い改めた。