次男の定期テストの結果表を受け取り点数を眺めていると、理科の点が本人の申告より5点低いことに気づいた。

テストが返された時に聞いた点数と違うので、嘘ついたの!と問い詰めるた。日ごろから嘘をつくことは最大の悪さのひとつであることを教えていた。

私がすごい勢いで怒ってしまっていたので、その迫力に次男はなかなか説明がうまくできず、たどたどしかったが、私も少しずつ落ち着かせ、ひとつひとつ流れを聞いていった。

どうも、私に伝えた点数は、返ってきた時の点であったが、見直し中に間違って採点したところを見つけ、先生にテスト用紙をもっていき確認してほしいと伝えたみたい。

自分の記述した答えが合っているのにバツがつけられていると、もちろん見直し中に先生に申告をし、点数をあげてもらうことはよくある姿である。しかし、次男の場合、自分の記述した答えが間違っているのにマルがつけられいるのに気づき、先生に自分の点数を下げてもらうために申告をしたのだ。

私はそれを聞いた時、心の中で、なんでわざわざ点数を下げに申告するの!もらったものはそのまま受け取ってしまえばよいじゃん!と、口から出る前に深呼吸をした。そしたら、遠くの棚に置かれている聖書が目に入った。

ちょっと待てよ。正直さ、素直さ、、、、間違いを正すこと、、、、神様に喜ばれることを行う、、、といった断片的なキーワードが即座に頭に浮かび、私の頭の中で、両極端な2つの意見が即座に対立したが、だんだんと、正と負がはっきりしてきて、次男のやったことが非常に勇気がありかつ正しい事であることを理解することができた。

次男のテストの点数が悪く、その場は説教の場面ではあったが、この件について、気持ちを切り替え、誉めた。たくさん褒めてあげた。誉めている最中、次男もうれしそうであった。しかし、当たり前のことをしたような雰囲気も醸し出していた。

同時に、クリスチャンとして、私の心の中にまだまだ隠れている罪深い考えがあることに改めて気づかされた。ある程度の考えや経験については、見直しをしていたと思ったが、まだまだ隠れている妥協を許した経験や考えが心の中にあることに気づかされた。

次男から励ましをもらってしまったことも普段あまりないので、正直に嬉しかった。クリスチャンのよいところのひとつは、年は教えの観点ではさほど関係なく、ひとつひとつの心の成長度で教えられたり教えたりすることができるところ。

親として最近、誉めることと怒るところを間違えずに、適正に行い、子供達に分別の力を強めてほしいと願っていたが、私にも分別の力を強める良い機会となった。