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2つあって恐縮です。
結婚して、12年が過ぎた。
私たちが、夫婦円満であることは、非常にうれしいし喜ばしいことだ。もちろん完ぺきではないが。
喧嘩はするし、意見の食い違いはあるし、ただ、年々より円満になってきていると思う。
妻はイギリス人ということで、私が結婚前から意識していたのは、家庭を中心にすること、妻を立てること、
結婚記念日だけにかかわらず何かあればお花などのプレゼントをあげること、
そして、一番大事なのは I love you を常に言うこと。
それらが逆に結婚前から自然の状態で見せられないと、西洋の方との結婚すら難しいと思う。日本では逆にそういった表現は敬遠されがちな文化にあると思う。(もちろん人によって違うので、平均的に言った場合。)
結婚してからは、それだけでは、全然足りなくなった。2回ほど結婚指輪を外に投げられたこともあった。
結婚したての時は、お互いの恋愛感情が強く、感情だけで成り立っていったが、実生活が深くなってくると、感情だけでは我慢できない点が多くでてくる。心理学的に、人は自分と違うタイプの特徴を持っている人を恋愛対象とみる見る傾向がある。なので、実生活が長くなってくると、お互いの許せない部分が徐々にでてくる。
私達夫婦は、キリストの聖書に助けられた。
実践してきたことは、
①夫が家族の権限者、妻は夫に従う側。
これは妻は夫の奴隷という意味でない。夫は妻を愛することが前提である。妻はサブリーダーとして夫を助け、家族を支える。ただし、これの前提として、夫は高ぶっていけないし、威張っていけない。心から妻を愛していること。心から妻を上げていること。意見が食い違う時は、夫の意見が優先する。実際やってみてその意見が間違っていたら、妻の意見を試す、という順番。これには、反対される方は特に現代では多いと思うが、聖書はそれが正とし、それが一番の喜びと平和であると言われている。成功するといわれている。そして、私達は、それを実行したときに、そうなったことを全部経験している。現代社会の教育を受けた女性にとっては、これは試練であろうか。
②相手を敬い、相手を尊重する。
これは道徳としても普通に言われていることだ。
③相手に優しく、怒鳴らない。怒らない。
これも道徳として普通。
④夫は、家庭を収める。コントロールする。教える立場。
日本人の夫は忙しい。忙しい中にあっても、電話やメールやチャットを駆使してできる限り家族の中で自分の立場を実行したほうが良いと思う。私はこの点では恵まれており、子供達が寝る前には帰宅でき、週末は一緒に過ごすことができている。毎朝、子供達を学校に送るついでに、車の中で、いろいろ教えるようにしている。勉強の教えは必要であれば見るようにしているが、これは子供達の日々の責任として教え込み、自分たちで学校で学び取ってくるようにしつけている。
⑤お互い聖書を読み、聖書を一緒に研究する。
私達は、毎日朝聖書を読むようにしている。聖書には成功の教えが真実として示されている。経験上、実践すればするほど恵みを受け、真実であることを知ることができる。教会のあとなど、分からないことは妻と話あう。
⑥お互いを赦す。
これは、人間には難しいことだ。相手にごめんと言われな
いと許さない文化が日本にはある感じがするが、キリスト教では、全ての相手を赦すように諭される。ただ、現実として相手を許さないと、実際自分の心の中に、それがキズとして残るのはご周知のとおり。だから赦すことは相手のためだけでなく、自分にも跳ね返ってくる。
キリスト教では、究極のことを教えている。
これを知っているから、本当のクリスチャンはどんなに悪い人でも赦すことができる。それは、神様が私達を赦してくださった。本来罪がある私達を、イエスキリストの十字架を通して、赦されている。だから私達も他人を赦しなさい。さもなければ、神があなたを赦さないと教えられる。
⑦自分の悪い部分に気づき、相手のために、直すことを求める。
お互いに気に食わないことは、基本言わないようにしているが、その代わり、相手にとって自分が迷惑を掛けていないかを考えるようにする。
お互い責め合うことはしない文化にする。大体責め合うと、収拾がつかなくなる。
ただ、私達も失敗して責め合うことは今もある。そうした場合、先に頭が冷えた方が、引くようにしている。大抵私は熱くなってしまい、妻は引いてしまう。
⑧自分の欲で、相手を困らせない。
私の場合は、仕事以外は、家庭や家のために働くように試みている。昔は、剣道に夢中で家族より優先していた時期があったが、それも自然に辞めることができた。
⑨そして、一番大事なのは、相手を愛すること。これは深い。聖書にも本当にたくさん書かれている。簡単にいうと、相手のために考え尽くすこと。相手のために行動すること。
私の妻は、私が体調が悪かった時期、自分も疲れているにも関わらず、私のためにマッサージをしてくれたり、私がやるべきことをしてくれた。私も逆に妻がインフルなどで倒れると、仕事を休んで家事など全てやる。
⑩お互いに誠実と忠実
うそは言わない。どんなに小さいことでも裏切らない。相手に頼まれたら守ってやる。
夫婦円満な人達は、クリスチャンでなくても、上記のことができていることがほとんどだと思う。
ひとつでも大いにかけると、ギスギスした関係になっていってしまうと思う。
私達夫婦ははっきりいって、必ずしも完全な円満でない。上記の事項で失敗することが多いが、毎回事象後、お互いに反省するようにし、神様に差し出すようにしている。
そして一番はそんな私達をみた子供達が、大人になって結婚したときには、更によいものになっていってほしい願いである。
クリスチャンと言いながら、円満でなかったり、子供が反キリストになっている例を多く見てきた。大抵は、夫婦双方に問題があることを見てきた。
バランスが取れていないのだ。教会を一番にしてしまい、家族を顧みない家庭は、大抵子供は反キリストになってしまう。聖書では、そんなことを言っていない。キリストを中心とし、物事をキリストを通してみるように教えていて、仕事、家庭、教会、奉仕などバランスよくやるように言われている。バランスがどれかに偏ると、問題が生じるであろう。
円満になるための教えは、すべて聖書から頂いた。それを年々、日々できないことも多いが、あきらめずにトライを続けることは大事だろう。
どこの国でも夫や妻の不貞による離婚は少なくないと思う。この場合、聖書ではなんといっているか。これには、キリスト教の派閥で考え方が違ってきているのは悲しい。
聖書では、ただ離婚は大罪だと言われている。しかし、罪を犯し、反省し、神に赦しを乞えば赦していただけるとも書いてある。そして、更に神の子は罪を犯さないとも書いてある。兄弟姉妹の罪を赦すことが書かれている。罪をしたら反省することを求められる。
結局、神とその個人個人との関係に委ねるしかないと、思う。そのときの状況や背景があると思う。
ただ、日々のクリスチャン生活を常に神とともに歩んでいれば、そのような問題は生じてこないと信じる。生じるとしたら、たいていお互いの罪の部分にサタンが入り込み、それをほったらかしにしていると、いずれそれが大きくなり、最悪の事態となることは、聖書のどこかに書いてあった。