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2つあって恐縮です。
春休み中の長男と次男が、公園で、ここ最近友達といっぱい遊んでいる。
長男と同じクラスの子達で、いままで、あまり学校外で遊んだことのない子達と最近頑張って遊んでいる。
昨日は、けがをしていたが、勲章のように語ってくれていた。よっぽど遊びきったのか、夕方からの勉強もとても身が入ったみたいで良かった。
子供時代私も、夕方まで、一生懸命遊んだ思い出は今でも良い思い出として残っている。トイレに行ったり、昼食を食べる時間ももったいないほど外で、友達と夢中になって遊んだ。探検したり、ボールで遊んだり、どろけいやったり、昆虫探したり、とにかく、その日その時間空いている子をつかまえて遊んだ。
けがも良くした。ひざとひじは傷だらけ。
この時に得た生きていく術は、きっといまでも生きていると思う。人とのコミュニケーションや付き合い方などもここで土台を築いたかもしれない。
しかし、昨日は、悪いこと(罪)をしたので、諭した。公園に落ちていたブランドのサッカーボールで遊んだらしい。
それは、キリスト教だけでなく、この世界の法律でも悪いことだよと教えた。そして、次の日まだ落ちていたら、交番に届けなさいと教えた。
それが捨てられたのか、落としてももう興味が捨てられているものなのか、持ち主が気にかけているものなのかは、なかなか拾い主には判断がつかないから、今後全てにおいて、交番に届けましょうと教えた。
人間はグレーゾーン(妥協)を持つ傾向にあるが、神様にとっては、白黒のみ。
キリスト教には、他の宗教やこの世界の考え方と違うことがある。それは、人間は神でも何でもなく、ちりに過ぎず、罪に汚れているということである。他の宗教やこの世界は、人間は神のようになれたり、主役になれると教える。ユダヤ教とイスラム教は同じ神を崇めており、そこの考えは同じであるが、キリスト教がそれらと違うのは、メサヤ=救い主がこの世界にすでに表れ、人間の罪が許され、この世界で死んだ後の霊の世界での生が保証されていることである。ユダヤ教は、このメサヤを信じず、未だにメサヤを待っている。イスラム教は、神の教えから人間的な教えに外れてしまっている。
この世界の法律に従い、他人に良いことをしたり、親切にしたり、物を上げたりしているし、私は良いから、天国に行けるという教えの宗教や個人的な考えがある。しかし、完全なる神の目からすると、全ての人間に罪があるとみられる。この世界の法律では、罪にならない部類が、神にとってはすでに重罪である。
人にいじわるをしたり、バカといったり、高ぶって自慢したり、いじめに加担したり、そもそも、神を否定して生きている時点で、重罪である。
極端に簡単に言ってしまうと、この世界は、テストの場。試されている場。そして、死後、最後の審判の場に全人類が並ばされ、神の前で裁判がひとりずつ行われる。ひとりひとりに神が記した本があり、そこに、過去にやった罪が全て書かれている。
例え、良いことをたくさんしていても、罪がひとつでもあれば、有罪とし、天国に行けず、悪魔とともに永遠の火へ放り込まれる。
神の選ばれた人種:ユダヤ人は、この罪を神と和解するために、神に言われた通りの行事やいけにえを捧げる。イスラム教は、この世的になってしまっているので、良いことをすれば救われるとなってしまっているが、完全なる神の前で、一切の妥協は許されないと教えているのが、ユダヤ教とキリスト教。
キリスト教と言い張っているが、キリスト教世界から間違っていると宣言されているエホバ(ものみの福音)やモルモン教、あと他の新興キリスト系なんかは、この世的に同じくなってしまっており、聖書の教えから外れてしまっているから、危ない。なぜなら、天国に行けると思っていたのに、死後裁判所に行ってみたら、行けないと言われてしまうから。。。
神は、偉大かる絶大であり、神のところに戻りたいと願っている人間を助けたいとあわれんでくださった。そして、人間の罪を完全に和解するために、動物のいけにえではなく、完全なる人間のいけにえが神に捧げられることにより、そのいけにえを信仰する者の罪はそのいけにえにされた人を通して、神との間に和解される仕組みを創られたのだ。
それが、イエスキリストであった。ユダヤ教が読んでいる旧約聖書のイザヤ書にイエスの預言がされているし、そもそも、旧約の全体の流れは、イエスがキリストとなり、成就することが全体を通して書かれている。アーメン。