神様がいるのなら、なぜ神様は、この世界の悪をやっつけてくれないのだろう。やっつけてくれないから、私は神など信じない。

 

私が苦しんでいる時に、神様なんて助けてくれなかった。私が自分の努力でここまで成功したんだ。

 

この世界には、戦争がなくならない。多くの無実の人や子供が殺されている。神様がいれば、こんなことにはならない。

 

などといった説を唱える人が多い。

 

しかし、そこには、論理的思考がない。なぜなら、ひとつには、それらの考えや意見の基には、この世界が勝手に中心となっており、神様でなく、その文句を言っている人や人間が主役になっている。その根拠がないのに、それが正と勝手になってしまっているから、それらしく言っている本人は正しいと思っているが、全く論理的でないと思う。

 

この世界や人間が主役であったら、なぜ人は死んだり、この地球は人間によって破壊されていくのか。

 

聖書には、主役はもちろん神様であり、その御子イエス様の救世主として現れる予言とイエス様が救い主となられた後、人間は死ぬまでに何をすべきかが解かれており、そして、死後のことが最低限書かれている。

 

人間は、自信が神様から離れる選択をしてしまっている。この世界の人間は、全て神様から離れてしまっている。そもそも、この世界は滅んでしまってよい状態なのであるが、それでも昔から今にあっても、神様の元に戻りたい人がいるし、神様も自分の創った人間を愛しているので、神様と仲介する道を備えられた。それがイエスキリストの存在である。

 

この世界での死は、天国では意味が何もない。主役である神様にとって重要なのは、人間が死までに、神様に立ち返るか、また立ち返った人は、その後神様を喜ばせてくれるのか、そして、どれだけの人が死ぬまでに神様の栄光を他の人へ示すのか、といったことである。

 

また、そもそも、この世界での争いや戦争といった類は、全て人間が自分たちの欲望によって引き起こしてしまっていることである。そこに神様が介入し、助けられることにそもそも、前述の大きい視点で考えると意味があるのだろうか。なぜなら、神様が入った時点で、この世界は終末を迎え、滅び、新しい世界が始まるしかない。神様にとって大事なのは、この世界の死なんかでなく、どれだけ多くの人が、天国で永遠の命を得て、神様と新しい生を始められるかである。神様が早々介入することにより、どれだけ多くの人が、天国に行く機会を失うか。

 

だから、いずれ、神様がこの世界を裁きに、来られるが、それを出来る限り伸ばそうとされてもいる。

 

聖書の中で、パウロさんは言われた。できることなら、今すぐ死んで、天国に行きたい。それが、本来の意味であるし、天国の素晴らしい世界で神様との生活自体しかし、それはできない。なぜならこの世界で多くの人に、イエス様の救いを説き、出来る限り多くの人が天国に行けるようにしたい。