2カ月に1回の病院へ。

難しい病気ではあるが、手術後、良い皮下注射の薬を定期的にいれて落ち着いている。

丁度2カ月前、病院に行ったときは、牧師先生が召された翌日で、同じ病院であった。

神様のお導きと働きは、クリスチャンにとっても、深く広く、分からないことが多いが、この日も
そのお恵みを授かった。その日は、患者も少なく、いつもより早く診察が終わった。先生が亡くなられた
ことはその前夜連絡を受け知ってはいたが、その後のことは何も聞いていなかった。携帯電話ももって
ないので、連絡もつけられない。

お祈りをして帰ろうとすると、玄関で、先生のご家族に出会い、そのまま先生のご遺体を病院から出すまでの
式などに一緒に参加させていただくことができた。

うちの教会は小さく、人も少なく、フルタイムの先生方は皆アメリカ人の方で葬式などの流れなどがつたない中、
葬式までも全てスムーズに行った。ちょうどタイミングよく、関係する
教会の先生方が近くのキャンプ場に来られていたので、最初から最後まで全てだんどってくださった。

昨日は、血液を採った後、診察までの30分程、病院のオープンカフェで聖書を読みながらコーヒーを
飲んでいると、先生との時を思い出してしまった。そして、胸が熱くなり、涙がでてきた。
私が、春先入院している時に、自分の体も良くない中、毎日、私に聖書の話をし、励ますため、奥様と
来てくださった。そして、同じ場所でコーヒーを一緒に飲んだ。

クリスチャンは、天国に行く確信を持っている。死に対しても、この世の人たちとは違う考えを持っている。
お葬式でも、喜びの言葉を普通に使う。黒い服を着ることに対しては、私も少し抵抗があったが、慣習に
従った。
なので、先生の死は喜びではあるが、やはり、一人の罪深い人間として(自分中心で考えてしまうこと)、
残りの自分の人生に先生との時がもはやないことに、悲しみを抱いてしまう。

先生の年は、丁度わたしの父親世代。私のことを、子のように接してくださった。厳しい中にも、いつも
私に温かさとやさしさを示してくださった。私が悪い事をしても、先生は、単純に注意や怒ろうと
せず、深く諭そうといつもしてくださった。

先生はまた、私の今まで接してきた人の中で、一番イエス様に信仰を強く持っておられた方であり、
いつも私に見本として示してくださった。人からはよく厳しいと言われるのを聞いたが、それは間違いで
先生は、単に聖書の言葉に忠実に、人々へ話されていた。厳しいと思われるのは、その人が神様に
対して、反しているからだろう。先生もよく、私は聖書の言葉で言っているだけなのに、厳しいって言われるよ
と言われていた。

なので、実際は、心の優しい方で、聖や義の証や話を聞くと、いつも涙ぐんで、声が裏返っていた。

私ももっともっと、霊的に成長し、イエス様を一番の見本として、聖徒たちも見本として、これから
残りの短い人生をやっていかなければと思った。