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2つあって恐縮です。
神様が作られた時間という軸は、止まらない。
つい先日まで、ちびだと思っていた娘が今日卒園を迎えた。
ここのキリスト教の幼稚園とこれで本当にお別れでもあった。上の子2人からずっと同じ。
上の子が卒園するときは、まだこの子が入る予定だったので、幼稚園に対しては哀愁はなかった。
妻に、ここのママたちの聖書勉強会に昔みたいに集ってみればと誘った。何らかのつながりがあることは
必要だと思った。
教会と幼稚園があることは、素晴らしいと素直に思った。今日も園長先生かつ牧師先生からも神様の話が
あったし、来賓の教会の役員からもお話があり、多くのノンクリスチャンの園児と親御さんに対して、
素晴らしい証となるよい機会だ。
娘は、今日、最初は我慢していたが、卒業証書をもらうとき、園長先生から励ましと感謝の言葉をいただき、
ママに証書を渡してハグをしたあと、席に戻ってから、耐えられずずっと泣いていた。
式の最後に皆で2曲歌っているときも、ずっと泣いていた。
心の繊細の子。上の子2人は男の子のせいもあり、それがなかったので、親としても、新鮮であった。
多くの子たちが泣いていた。男の子も一部泣いていた。
哀愁というのは、悲しいが、素晴らしいものだと改めて思った。
私もつい最近、私を子供のようにやさしく温かく、時には厳しく接してくれた牧師先生と
この世でのお別れをしたときは、ずっと泣いていた。
明日は、次男の卒業式。妻は、明日も泣かなければいけないから、疲れるなぁ、と嘆いていた。