子供の高校受験が終った。小さいころから描いていた車の開発エンジニアになる夢を実現するために中学入学前から行きたいと思っていた高校に受かることができた。自分のやりたいことを犠牲にし、夜も私より遅くおき勉強に励んだ。

子供だから、時間管理の甘さがあり、妥協もあっただろう。

1週間前の入試の適性検査を確認してみると、なんでこんなの間違えるの!がいくつも露呈した。私ももっと前に数学の弱い部分に気づき、教えるべきだったと反省したがその時はすでに終わっていて遅かった。一気に不安が襲ってきた。

その前にあった総合テストの数学を見てみると、なんと、小学生レベルの問題の符号確認ミスがあり、さらにショック。

数学の勉強方法や考え方の原点を再度指導し、仕事と同じで、問題にとにかく当たっていくことを諭した。

聖書的には、高ぶりが満足という妥協感を与えたことが原因であった。

さらにお恵みであったことは、昨日の合格発表まで、毎日、聖書の言葉がいろいろな場面を通して、私に示され、全てが高ぶりに関することであり、家族皆に毎晩デボーションをもち、展開をした。

子供達の目の輝きも変わった気がする。

父親としても、指導者として、家族のリーダーとしての力不足を改めて反省し、また神に許しを求めた。

合格発表は夕方で、それまでの仕事は辛かった。それでも今まで貯めていた簡単な仕事をこつこつこなしていった。発表時間には、現場の5Sパトロールが長引き、気持ちをコントロールするのが大変だった。

子供には、合格は通過点であり、これからが新たな試練だよと伝え、本人もよく理解してくれた。数理でまだ苦手な部分を高校入学まえに克服するために、今日も図書館に出かけ、期末の近い次男と一緒に勉強に向かった姿は微笑ましかった。