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2つあって恐縮です。



われみというのはどういうことか。

 

辞書では、単純に、かわいそうに思う、気の毒に思う、同情するといったところだ。

 

子供の時に、多くの私が考えるあわれみというものを実体験で受けてきたことは今でも良いものとなっている。

 

私は、小学生の頃、非常に分かりにくい子供であるとよく言われた記憶がある。たぶん顔や態度に出さずに、大人側のアクションに対して、思ったような反応や行動が返ってこなかったのだろう。確かに私は自分でも難しい心を持っていたと思う。

 

1つのことを深く掘り下げ、そして環境や状況に合わせてそれをストレートに受け入れるときと、ひねくれて捻じ曲げる時がある。それは、多くの理由はその時の大人の私に対する気持ちに私は敏感に気づき、それに準じた反応を帰した記憶がある。

 

ある剣道での試合のとき(全国大会の1回目)、ある先生Aから期待されていた。いよいよグループ決勝戦。私はその時貢献できず勝てば優勝旗だったのに負けてしまった。(この全国大会は8チームが優勝旗を頂ける)先生の期待は大きく、私たちにプレッシャーになっていたのだ。そしてその後道場での稽古で落ち込みが続き、道場内での練習試合でも負けるようになった。その時その先生Aからは、裏であいつは何をしているのだと言われていたみたいで、その冷たい態度が私にでていたので、感づいていた。その先生は自分を中心として彼のために私が働いているような見方をしているのに私は本能で気づき、益々、態度を悪くし、練習試合もわざと負けるようにしていた。

 

そして次の全国大会がすぐにきた。(こっちは道場連盟主催)その時その先生Aは欠席し、道場の館長先生が監督であった。初戦、その時の悪い状態が続き、いざ試合で頑張ろうと思ってもだめで、私一人だけ負けてしまう。私の心は先生Aとのアツレキを引きづっていた。そして試合後、私は、館長から先生Aのように怒られると思っていたら、(館長も厳しい人です。)めずらしく、私に笑顔を見せてやさしく肩をたたいて優しい声で言ってくれた。「○○は、どうしたんだ、調子が悪いなぁ。大丈夫か。」で終わった。てっきり、補欠とメンバー交代すると言われると思っていた。

 

この直後、すぐに私は面をとって、一人でトイレに駆け込み、泣いた。私は何をしているのだ。先生Aは勝つことだけが正と言いそれに反発していたが、館長のそうではないのだという心が私に伝わった。負けても一生懸命やることが大事だということをその館長のやさしい言葉に全てが含まれていて、本能でそれを読み取った。館長は私の心の状態を読んでくれ、一番効果のある方法で私に接してくれた。自分の心にも悔いた。泣ききると、皆が休憩している場所に戻った。皆は心配していた。あとで、親から聞くところによると、館長はその後、親にも大丈夫かなと心配していたみたい。館長は心に怠りやだしなさがあると厳しく怒るかたで子供達から恐れられていたが、私の心に対しては、心配をしてくれた。

 

そして、次の試合。私の心は吹っ切れていた。試合にも完全に集中し、本来の自分を取り戻し、2本勝ちでチームの勝利に貢献した。以降の試合は全て勝利に貢献した。コート準決勝で、全国上位のチームにあたり、接戦の中負けてしまった。その時も私は競り勝つことができ、チームのプライドは守った。

 

館長もその後は、私には上機嫌でがんばったなと声を掛けてくれた。

 

その後の道場での稽古や試合練習も吹っ切れた。

 

後で、聞いた話だが、その2回目の全国大会の前、先生Aは館長に私は全然だめなので、他の補欠の選手に交替させたほうがよいと提言していたらしい。しかし、館長は、先生Aに対して、私でなければだめだよと一蹴りしていたらしい。そして結果として、私がかなり貢献したことも先生Aに報告したらしい。

 

館長の対応は、私にとってあわれみであった。先生Aのように白黒はっきりするのは今の時代、またビジネスの世界でも普通であるかもしれない。館長の対応は、しかし、その人間自体を赦しそして次の機会を与え、更に良い結果をだすチャンスにつながるかもしれない。