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2つあって恐縮です。

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長男が学校から推薦を受け、地域の駅伝の代表選抜選考会に参加をした。この選考会が2回行われ、トップ3が地域のチームにエントリーし本番の県大会が4月にあるということ。

私は、小学2年から高校まで剣道に明け暮れ、県でもトップレベルの実力の維持を課されていた。高校は全国レベルで、今でいうちょっとした体罰や生徒同士の体罰など日常茶飯事の環境。途中で燃え尽き、それ以降は、剣道は時々趣味でやっていた程度であったが、アメリカでまた再開し、いくつかの大会で入賞を頂けた。何を言いたいかというと、勝負への執念の固執が今も強く残ってしまっていることだ。

体調が悪くなり、3年ほど前に剣道を離れることになった。そしてこの3年で聖書から神様の我々人間に求めている多くのことを学び、多くの自分の罪を認識し理解することができた。剣道は相手がいて成り立つ競技で、自分が優位に立つと、どうしても鼻が高くなってしまう。剣道人は礼儀を大切にし相手を思いやる武士道が今も生きているので、表には絶対出さない。そして心の鍛練も求められる。しかし、私の場合心までコントロールすることはできなかった。どうしても試合とかがあると、相手にいかに勝つか固着し、自分が強いと高慢になってしまう。難しい。

この時剣道は私の一番大事なものとして、あり、他のことたとえば家族などを後回しにしていたから、体調が悪くなって強制的に辞めれたのは良かったと思う。

そして今回勝負という罪が自分を葛藤させた。
それは長男は、結果として、入賞しなかった。子供は頑張ってゴールをしたのに、うわべは頑張ったねと声をかけたが、心の中は、なんで入賞できなかったんだ!と悔しがっていた。その後、数時間一人になって、落ち着かせていろいろ考えた。本当に久し振りに考えた。それは2つの全く違う意見が臨在したからだ。

1つは、長男の負けは悪。反省を認識させ次回トップになれるように練習メニューを考え特訓をする。一位が全て。

2つ目は、マラソン選手になるわけでない。それで生きていくわけでない。勝ち負けにこだわるのはむなしい。マラソンはあくまで社会活動として参加したもの。こだわっていけない。今回は他の方と楽しくできたでないか。

神様にお祈りをして、導いてくださるようにと。

そして、もちろん答えは2つ目のものに導かれた。私の奥にある根っこは深い。しかし、私は若い時金メダルかノーメダルかで評価されてきており、深い傷として残ってしまっているのも事実。ありのままの息子の姿を評価することを、今回を通して神様から教えて頂いたと感じる。

しかし、、、、長男の運動不足ははっきり明確化した。4年生まではマラソンも敵なしだったのは事実。5年になってから太ったのも事実。バランスは大事なので、何かクラブがないか早速調べてみると、市に運動クラブを発見。勝負にはこだわらないクラブそうで安心。値段も家族会員制度があり、価格も安心。私も体調がよくなってきており、運動も再開したかったし、妻も次男も運動不足らしい。娘はいつも、よーいどん!というほど走るのが好きなので、問題なし。

早速連絡してみよう。