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2つあって恐縮です。


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今回お互い過ごした数日間は、婚約中ということで、新婚旅行のような雰囲気に包まれていた。私の方は大学院も卒業した後もあり少し落ち着いて時を過ごすことができた。将来のこともいろいろ話し合ったと思う。私が日本に帰ったら妻がいずれ日本にまた来るという話でまとまったと思う。ただこの時はまだそんなに深く真剣には話していなかったと思う。お互い楽観的な部分が影響したのだろう。逆に真剣に話し合っていてはうまくいかなったと少し感じる。

そして帰国日。今度は妻が去って私が見送る番。JFKのセキュリティチェック場でぎりぎりまで時間を過ごし、最後はお互いまた大泣きでわかれた。セキュリティ場にいた警備員に離れろと怒鳴られ、こんな時にきついことを言うなと思いながら遠くに妻をながめ手を振り続けた。妻もその後なかなか歩けず、飛行機のゲートもたぶん締切時間ぎりぎりで、妻が最後に乗り込んだらしい。ゲートの人やフライトアテンダンスや妻の隣の方皆が気遣ってくれたみたい。最近はゲートも時間を過ぎると容赦なく締める飛行機会社も多いと聞くが、人間味が無くなってきているのかな。

この時私は、見送る側としてなかなかきついことを経験した。帰り道や帰宅後のアパートには妻がさっきまでいたのにいないので、まだ暖かさが残っているのに姿かたちがないのは本当に辛かった。こういうときは落ち着かせるために夜とぼとぼ外を歩きたい気分になるが、ここはアメリカ。それはできないのが辛い。夜は時々銃声が聞こえるのは普通という環境であった。もちろんアメリカにも地域差があると思うが、住んでいた地域はコネチカットの旧大都市で荒れていた。       
                                                                                                                                
ワードに彼女との思い出をワードに打ち込んでなんとかその夜を乗り切った記憶がある。

実はこの後、母が日本から訪問することになっていて、そちらの準備で翌日からは気晴らしができた。母は確か初めての海外旅行でしかも一人でくる。私の住んでいるエリアは母には全く合わないので、コネチカットのイメージらしいエリアのモーターホテルを滞在先として選んだ。モーターホテルというとアメリカ英語からあまりきれいなイメージはないが、ここはとてもきれいで広く、キッチン付きで、値段もそこそこで、私も一緒に滞在し楽しむことができた。母もニューヨークには思い入れがいろいろあり、美術館巡りやロックフェラーセンターのスケート場などを案内した。日本ではとてもよく話す母も、こちらでは全く無口になってしまい、全てを私に託している感じで、長男として初めて母を守らなければという思いになった記憶がある。食事もやはりアメリカ食は合わないみたいで、日本食レストランをいろいろ案内した。私が通訳をしていることがとても頼もしいみたく、今でも武勇伝のように話をしてくれると少し恥ずかしい。母は子供の頃から私の剣道を応援していてくれたこともあり、アメリカで再開したことを、たぶん喜んでくれたと勝手に思い道場にも連れて行ってあげた。小さい子供達に私が教えているのをみて、私が小さかったときを思い出したらしい。

ある夜、母に婚約者のことを初めて打ち明けた。母に女性関係で話をしたのもこの時が初めてであったので少し緊張した。私の父と母とも私に対してあまり意見の介入をしてこず私のしよう、したいとすることに対して尊重してくれる気質があったことは今でも感謝である。この時も、外国人の婚約者の話をしても母は、特に動じず良かったね位の雰囲気をかもしだした。疲れのせいもあるのか、あまり質問もしてこなかった。

母が満足されて帰国した後、私があとアメリカでやることは全米選手権までの強化練習参加とカリフォルニアで行われる大会への参加、そして、アパートの片づけと帰国準備だけであった。その前に剣道関係者とのお別れ会もいくつか企画されていた。