アメリカの大学院2年の時に、ニューヨークの911が起き、地元の学生にとっても就活は大変となった。

そこで、日本での就職活動を行い、年末のジョブフェアーで、大手の流通・販売メーカーに巡り合った。

当時、アメリカでの生活は、私にとって、毎日ワクワクの連続。ただ、文化の違いや外を歩けば、いろいろな人種や国の人がいて、風景も違い楽しかった。勉強も自分の興味のあるものを学べて楽しかった。そういった状況がよかったのか、一人の時は、こんなに楽しくなかった過去を振り返り、日本に帰りたくない将来の暗さも感じた。
そして、生や死、言い換えれば、明るさと暗さ、を対照的に考えるようになっていた。思考能力が高まっていたのだろう。

初めの就職先は、名古屋。途中妻と同棲を初めた。この時、私のお腹の病気が悪化した。会社はとても条件がよく、かつ頭の良い人たちに正しく運営されていて、新人いじめもないし、残業もほぼなし。サービス残業は、すでに会社内で悪と扱われていて、時々他店の店長などが罰せられていた。しかし、仕事のストレスが強かったのもお腹に負担をかけていたのだろう。

1年位すると、妻に、辞めるかも、と相談をした。食事もだんだんとれなくなっていき、体重も減少。丁度その時10日間の休暇の時期になり、妻と、山へキャンプに行ったり、ディズニーランドへ行って、気持ちを晴れた。

そして、帰ってきて、翌日から仕事という時に、店長から電話があった。転勤の知らせだった。

高松に行く前に妻が妊娠をしていたので、移動後、すぐに病院探し。たまたま、イエローページで直感的にいいなと思ったところに行ってみると、とても優しい女医先生が診て頂き、妻の日本語能力のつたなさを心配してくれ、彼女のアメリカ人の友達がとても面倒見がよいと、紹介してくださった。

70代のご夫妻は、今まで出会った人たちとなにか違った。今思うと、彼ら自身が、イエス様の弟子として神の愛を実践しておられ、霊的にも成長しておられ、神の光が彼らを通してでていたのだろう。彼ら自身が、神の証として立っておられた。

彼らと過ごす時間は、平安で喜びであった。奥様の手作りの食事を一緒に食べよう!というのがいつも招待のきっかけとなり、その中で、いろいろ会話があった。そして、聖書の話もあった。

妻が自然とご夫妻が立ち上げた教会に行くようになった。私は、日曜日は、仕事のため、いけなかったが、妻からいつも喜びの話をきいた。そして、妻がイエス様を受け入れ、救いを受け、そして、バプテスマもすぐに受けられた。私もその話を聞いて、喜んだ。

しかし、私の中では、なかなかイエス様を信じなかった。徐々にご主人の話を真面目に受け入れるようにはなっていた。

アメリカにいたとき、無神論者だった私は、考えを少し広げていて、もしかしたら、この宇宙全体を創り上げた
神がいるのでは、と考えていた。
そして、紹介された聖書には、それが書かれていた。私が人生で今まで疑問に思っていた回答が全てご主人から聖書を通してされたことに、驚きとワクワク感があった。そして、このご夫妻は、私にとって一番信頼ができる人として位置づけられていった。

ご夫妻アメリカ人にしては、珍しく、温泉が好きで、私も大好きだったので、そこでも気が合った。教会の音楽会や食事会などにも招待された。心から楽しいと思った。

しかし、救いを受け入れる決心がなかなかできなかった。今思うと、単に聖書の勉強不足であった。日曜日に教会に行けなかったのも強かった。

ご夫妻は、今思うと、忍耐強く私を待っておられたのは、良かった。そこにも愛があった。