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2つあって恐縮です。

手術室には、歩いて行くみたいだった。行く前に、牧師先生にお祈りをお願いした。私の父と母も加わり祈った。その後、妻と手をつないで行った。正直怖かった。

 

手術室入口で皆と別れ、牧師先生とは握手をし、妻とはハグをして別れた。

 

手術室前で、病棟看護師から手術室看護師4人に引き継がれ、そして、一緒に入って行った。手術室は、イメージと違って、灰色の感じで、工学の学生時代の実験室に似ていたなぁ。学生の頃手術を3回したときは、それぞれ、音楽が流れ、もうちょっと白いイメージがあったが、気のせいかな。

 

狭いベッドの上で寝てから、すぐに、全身麻酔の医師が来て準備に入られた。背中の骨髄に針を刺し始める。ある程度すると、酸素マスクをつけられ、看護師から点滴に眠り薬が入ることを伝えられた。入りました!と言われ、5秒程一生懸命頭で数えていると、それ以降は、意識が消えた。

 

今となっては全く覚えていないが、手術後すぐに意識が戻り、先生と家族が話しているのをしっかり聞いていたみたい。ただ、成功したよ!と言っているのは覚えているし、この時、意識の中で、お腹あたりを触ってみて、ストーマがついていないか確認しなかったのを確認して、ほっとしたのを覚えている。その後はっきり覚えているのは、集中治療室の病棟に戻ってきて、皆がしゃべっている時からのビジョンからだった。牧師先生が、本当に喜んで頂いたのが印象的だった。

 

その後皆気を遣ってくださり、すぐに去って行った。私もすぐにまた眠りに落ちた。しばらくすると、便意を催し、目が覚める。翌日まで、動けないと言われているため、おむつがついているのをみて、我慢もできず、便をした。看護師を呼んだら、担当と違う男性看護師がちょうど来て下さって、正直少しほっとした。それでもやっぱりおむつにするには嫌だった。次に担当看護師が来られた時に、聞いてみると、専用の便をするケースみたいなのがあるみたいなので、次に夕方に便意を催した時に、持ってきてもらった。それでもベッドの上で、やって、さらに、看護師に拭いてもらうのは、気持ち不快だった。次に便意が催さないように、出来る限り、その時に、時間をかけて出し切るようにした。目が覚めた当初かなり不快感があり痛く早くとってほしいと看護師に伝えたおしっこの配管は、夕方には、慣れてしまった。背中の痛み止めが入っている間は基本的には外せないらしい。(おしっこがでなくなる副作用があるので)術後2時間程で、酸素ボンベがはずれ、少し自由になった。それでも、血圧計、酸素計、心臓計、点滴、などの線があるので、全く動けない。

 

思ったより、時間が経つのが早く、所々朝まで、寝たり起きたり繰り返した。いろいろ瞑想もした。お腹周りの痛みは、痛みどめが背中と血液に入れた薬から効いているのか、あまりなかったが、両肺の上あたりが痛く、横になるのもきつかった。熱で汗もかなりでて、特に血圧計の周りがかゆくてもかけず、辛かった。酸素系が指につけられているのも、うまくかゆいところがかきにくいので、不便だった。

 

翌朝5時頃、もう横になっているのが嫌になり、ベッドをあげ、起きてみた。そして、足をベッドの外にだし、座ってみた。気持ちいい!座るのがこんなに素晴らしいことだなんて。しばらすると、担当看護師が入ってきて、座っているのをみて驚かれていた。

 

朝の回診で、医師から水分を取っていいのと、動いていいよと言われる。そうなると、血圧計と酸素計が外れ、一気に自由になる。早速、トイレに行ってみた。とにかく、便意を催す。部屋からトイレまで集中治療室内を少し歩くので、正直嬉しかった。歩くのがこんなに楽しいなんて!またそこまでに看護師に数人会う中、皆が声をかけてくれ、社会性の素晴らしさも感じた。

 

この日、一般病棟に移る許可がでたが、病棟側の空きがなくなってしまい、もう一日いることになった。しかし、歩く時の背中の痛みがひどく、肺のところもひどく、ベッドで安静にしているのがうれしかったので、もう一日追加になったのは、内心嬉しかった。